親が認知症と診断された。ひとり暮らしの家は段差が多く、そろそろ近くに越してきてほしい——そう考えて部屋探しを始めた方から、決まって同じご質問をいただきます。「認知症の診断があると、そもそも賃貸契約は結べないのでしょうか」。
この不安は、不動産会社の窓口でも、ケアマネジャーとの相談の場でも、はっきりした答えが返ってきにくい種類のものです。契約できるかどうかは法律の話であり、審査に通るかどうかは大家さんの判断の話で、この二つが混ざったまま議論されることが多いからです。
この記事では、まず法律の側で何が決まっているのかを条文で確定させ、そのうえで実際の部屋探しでどう進めるかを整理します。診断名がついた時点で道が閉じるわけではない、というのが結論です。ただし「いつ、どの順番で動くか」で、かかる時間が大きく変わります。
なお、個別の契約の有効性や後見の要否は法律判断です。この記事は制度の全体像をつかむためのもので、最終的なご判断の前に、お住まいの市区町村の窓口・地域包括支援センター・家庭裁判所・弁護士等にご確認ください。
認知症と診断されたら、賃貸契約はできなくなるのか
法律は「認知症かどうか」で契約の可否を決めていません。決め手になるのは、契約したその時点で意思能力があったかです。
民法第3条の2は、「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする」と定めています[1]。裏を返せば、意思能力があるうちに結んだ契約は、その後に症状が進んでも有効なままです。診断書があるからといって、契約が自動的に無効になる仕組みにはなっていません。
この「あるかないか」の見方についても、公的な指針が出ています。厚生労働省の『認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン(第2版)』(2025年3月・令和7年3月)は、意思決定能力は「あるかないかという二者択一的ではなく(連続量)、段階的・漸次的に低減・喪失されていることがある」とし、さらに「認知症の状態だけではなく、本人の心身の状態や本人を取り巻く人的・物的環境によって変化する」と明記しています[2]。同ガイドラインは「認知症の症状にかかわらず、本人には意思があり、意思決定能力を有するということを前提にして、意思決定支援をする」という立場にも立っています[2]。
実務に置き換えると、こうなります。本人が疲れていない時間帯を選び、説明を分けて、同席者を絞る——それだけで「本人が自分で決められる状態」に届くことは珍しくありません。同ガイドラインも、本人が集中できる時間帯を選ぶこと、疲れている時を避けること、大勢に囲まれる場を避けることに配慮するよう求めています[2]。重要事項説明を親の体調が最も良い時間に設定してもらう、という段取りは、実際にお願いできる範囲の配慮です。
家族が代わりに賃貸契約を結べるのか
ここで多くのご家族がつまずきます。「代筆」と「代理」はまったく別のものだからです。
本人の意思がはっきりしていて、手が震えて字が書けないだけであれば、家族が本人の意思にもとづいて記入を手伝うことはあり得ます。これは本人が契約しています。一方、本人に代わって家族が契約を決めてしまうのは代理であり、代理には権限の裏づけが要ります。子であるという事実だけでは、親の契約を代わりに結ぶ権限は生じません。
権限の裏づけは、大きく三つです。
- 本人が委任する——本人に意思能力があるうちに、委任状で代理権を与える
- 任意後見契約を結んでおく——判断能力が十分なうちに契約し、低下した後に効力を生じさせる
- 法定後見(後見・保佐・補助)の審判を受ける——判断能力が低下した後に、家庭裁判所に申し立てる
なお、成年被後見人となった後の本人の契約について、民法第9条は「成年被後見人の法律行為は、取り消すことができる。ただし、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、この限りでない」と定めています[1]。賃貸借契約は日常生活に関する行為の範囲を超えますから、後見が始まった後は成年後見人が代理して契約するのが原則の形になります。
保佐の場合は少し違います。民法第13条は、被保佐人が「第六百二条に定める期間を超える賃貸借をすること」には保佐人の同意が要るとし[1]、その第602条は建物の賃貸借について三年と定めています[1]。一般的な居住用の賃貸借は2年契約が多いため、契約期間によって同意の要否が変わり得る、という細かい分岐がここにあります。契約書の期間欄は、保佐の段階では確認しておきたい箇所です。
成年後見人が必要になるのはどんなときか
法定後見は、判断能力の程度によって三つに分かれます。民法は、後見を「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」(第7条)、保佐を「著しく不十分である者」(第11条)、補助を「不十分である者」(第15条)と書き分けています[1]。法務省は、これらを公示する仕組みとして成年後見登記制度を設けていると説明しています[3]。
では実際に、どんな理由で申立てがされているのか。最高裁判所事務総局家庭局の『成年後見関係事件の概況——令和7年1月~12月——』(令和8年3月公表)に、その内訳が出ています[4]。
- 令和7年(2025年1〜12月)の集計で、申立ての動機で最も多いのは預貯金等の管理・解約(39,871件・93.4%)[4]
- 次いで身上保護(74.2%)、介護保険契約(45.7%)
- 不動産の処分は15,502件・36.3%で4番目
住まいに関わる動機——介護保険契約と不動産の処分——が上位に並んでいることが分かります。同資料では、開始原因として認知症が最も多く全体の約61.3%を占めています[4]。後見は「認知症の人のための制度」というより、お金と住まいの手続きが本人だけでは進められなくなった場面で使われている制度だと読むほうが、実感に近いはずです。
逆に言えば、本人が自分で決められる状態であれば、部屋を借りるためだけに後見を申し立てる必要はありません。不動産会社や保証会社から後見をすすめられた場合は、それが誰の不安を解消するための提案なのかを確かめてください。似た場面として、身元保証会社をすすめられるケースについては高齢の親の賃貸に身元保証会社は必要?家賃保証との違いと契約前に確かめることで整理しています。
成年後見の申立てにはどれくらいの期間と費用がかかるのか
部屋探しの日程を組むうえで、いちばん知りたいのがここだと思います。同じ最高裁の資料に実測値があります[4]。
- 終局した42,674件のうち、2か月以内に終わったものが約71.1%、4か月以内が約93.8%
- 医師の鑑定を実施したのは全体の約3.4%にとどまる
- 鑑定を行った場合の費用は5万円以下が約43.7%、10万円以下が全体の約85.8%
- 申立件数は合計43,159件(令和7年1〜12月)で、令和7年12月末時点の利用者数は259,901人
申立人の内訳も参考になります。本人が約24.8%、市区町村長が約23.7%、本人の子が約18.5%です[4]。身寄りがない方について市区町村長が申し立てる件数(10,139件)が、子による申立てに迫る規模にあることが分かります。この点は身寄りがない高齢者の賃貸|緊急連絡先がいないときの進め方でも触れています。
数字の読み方として大切なのは、「2か月以内が7割」は申立てをした後の審理期間だという点です。診断書の取得、必要書類の収集、家庭裁判所への相談まで含めると、実際の体感はこれより長くなります。退去期限が決まっている状態で後見の完了を待つ組み立ては、時間の見積もりとして無理が出やすいとお考えください。期限が先に決まってしまっている場合の逆算の仕方は、高齢者の賃貸と立ち退き|更新を断られたときの期限・立ち退き料・次の部屋の探し方にまとめています。
後見人が付いたら、実家の賃貸を解約して引っ越すのに許可が要るのか
見落とされやすい条文があります。民法第859条の3です。
「成年後見人は、成年被後見人に代わって、その居住の用に供する建物又はその敷地について、売却、賃貸、賃貸借の解除又は抵当権の設定その他これらに準ずる処分をするには、家庭裁判所の許可を得なければならない」[1]。
つまり、後見人が付いた本人の住まいを引き払う(=賃貸借を解除する)には、家庭裁判所の許可という手順がもう一段入ります。売却だけの話ではありません。今住んでいる賃貸を解約して新しい部屋へ移る、という一見あたりまえの動きが、後見が始まった後は裁判所の判断を経る対象になります。
これは本人の生活の本拠を守るための規定で、後見人の裁量だけで住まいを失わせないという趣旨です。ご家族の実務としては、転居のスケジュールに「許可の申立てと判断を待つ時間」を最初から織り込んでおくことになります。新居の申込みと現住居の解約を同時に走らせる前提で日程を組むと、無理が出ます。
入院や施設入所がきっかけで、住まなくなった部屋の解約を急ぐことになった場合の段取りは高齢の親が入院したときの賃貸の解約|いつ決めるか・家族が代われるか・荷物はどうするかにまとめています。
入居審査で認知症をどこまで伝えるべきか
ここは法律ではなく、実務と信頼の話です。
結論から言えば、伏せて進めることはおすすめしていません。理由は倫理の問題というより、伏せたまま入居した場合、その後に必要な配慮を管理会社に頼めなくなるからです。連絡が取れないときにどう動いてほしいか、緊急時に誰へ連絡するか——こうした取り決めは、事情を共有していて初めて成立します。
そのうえで、伝え方には順番があります。大家さんが心配しているのは「診断名」ではなく、次の三つの具体的な不安です。
- 家賃が滞らないか——年金の振込口座からの自動引き落とし、家賃債務保証会社の利用で答える
- 近隣とのトラブルが起きないか——現在の生活の様子、介護保険サービスの利用状況、ケアマネジャーの関与で答える
- 異変に誰が気づくのか——訪問介護やデイサービスの頻度、見守りの仕組みで答える
診断名を先に出すと、この三つが確かめられないまま話が終わります。順番を逆にして、「支える体制がこうあります」を先に示し、その一部として診断のことを伝える。これが実際に通りやすい進め方です。家賃保証の審査で何を見られるかは年金収入だけで家賃保証会社の審査は通る?見られる点と落ちたときの選択肢で詳しく扱っています。
申込書のどの欄に何を書くか(年金の証明に使う通知書、免許返納後の本人確認書類、緊急連絡先の欄の埋め方)は、高齢者の賃貸の申込書と必要書類|年金の証明・本人確認・緊急連絡先の欄をどう埋めるかにまとめました。
それでも、窓口によっては話を聞く前に断られることがあります。断られた回数は、その方の状態を表すものではありません。高齢の入居に慣れている窓口かどうかの差であることが大半です。
認知症を理由に更新を断られたり、退去を求められたりするのか
すでに住んでいる部屋についてのご相談も多くいただきます。
普通借家契約には借地借家法が適用され、大家さん側から更新を拒む場合には正当の事由が求められます。認知症の診断があるという事実だけを理由に契約を終わらせられる建て付けにはなっていません。期限の数え方や正当の事由の考慮要素は、高齢者の賃貸と立ち退き|更新を断られたときの期限・立ち退き料・次の部屋の探し方に条文単位でまとめてあります。
また、契約の形そのものを見直す選択肢もあります。終身建物賃貸借は、都道府県知事の認可を受けた住宅で、本人が亡くなるまで契約が続く仕組みです。更新のたびに不安になる状況そのものを外せるため、進行が予想される場面では検討に値します。詳しくは終身建物賃貸借とは?亡くなるまで住み続けられる賃貸契約の条件・解約・探し方をご覧ください。
断られたときに条件を整え直す方法
断られたら、物件を替える前に条件のほうを足すのが順序です。手当てできる材料は制度の側にあります。
国土交通省の住宅セーフティネット制度では、令和7年10月1日に改正住宅セーフティネット法が施行され、居住サポート住宅の認定制度が始まりました。日常の安否確認、訪問等による見守り、生活・心身の状況が不安定化したときに福祉サービスへつなぐことを行う住宅が対象で、高齢者は住宅確保要配慮者として明記されています[5]。「見守りまで含めて認定されている住宅」という選択肢があること自体が、審査の場面での説明材料になります。制度の中身は居住サポート住宅とは?入居する側から見た支援内容とサ高住・登録住宅との違いで解説しています。
もうひとつが見守りの仕組みです。異変に気づく手段が用意されていれば、大家さんの三つめの不安に直接答えられます。誰が契約し、費用を誰が払い、通知が誰に届くのかは事前に確かめてください(高齢者の賃貸と見守りサービス|誰が契約し、費用は誰が払い、誰に連絡が届くのか)。見守りサービスの内容を確認するところから始めていただけます。
そして、相談先を家族だけで抱えないことです。厚生労働省は、市町村が設置する地域包括支援センターを、高齢者の総合相談、権利擁護や地域の支援体制づくり、介護予防の必要な援助などを行う地域包括ケアの中核的な機関と位置づけています[6]。後見の申立てを迷っている段階でも、住まいの相談から入って構いません。担当のケアマネジャーが住まい探しにどう関われるかは、ケアマネが利用者の賃貸探しを手伝うとき|どこまで関わるか・不動産会社に伝えること・緊急連絡先の整理で整理しています。
まとめ:決まるのは診断名ではなく、その時の状態と支える体制
整理します。
- 契約できるかは診断名ではなく、契約時に意思能力があったかで決まる(民法3条の2)[1]
- 意思決定能力は二者択一ではなく、環境によって変わる——時間帯や説明の仕方の配慮で届く場面がある[2]
- 家族であることは代理権にならない。委任・任意後見・法定後見のいずれかが要る
- 後見の審理は2か月以内が約71.1%だが、書類の準備を含めると体感は長い[4]
- 後見開始後に住まいを引き払うには家庭裁判所の許可が要る(民法859条の3)[1]
- 審査では診断名より先に、滞納・近隣・異変の三つへの答えを示す
ご家族が焦るのは、多くの場合「先に進めなくなる前に決めてしまわなければ」という気持ちからです。その感覚自体は正しいと思います。ただ、急いで決めるべきなのは契約ではなく、相談を始める時期のほうです。本人が自分で決められるうちに動き出せれば、選べる道はいちばん広く残ります。
- 意思表示をした時に意思能力を有しなかったときはその法律行為は無効であること(第3条の2)/後見開始の審判の対象を「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」とすること(第7条)/成年被後見人の法律行為は取り消すことができ、日用品の購入その他日常生活に関する行為はこの限りでないこと(第9条)/保佐開始の審判の対象を「著しく不十分である者」とすること(第11条)/被保佐人が第602条に定める期間を超える賃貸借をするには保佐人の同意を要すること(第13条第1項第9号)/補助開始の審判の対象を「不十分である者」とすること(第15条)/建物の賃貸借に係る短期賃貸借の期間を3年とすること(第602条第3号)/成年後見人が成年被後見人に代わって居住の用に供する建物又はその敷地について売却・賃貸・賃貸借の解除・抵当権の設定その他これらに準ずる処分をするには家庭裁判所の許可を得なければならないこと(第859条の3):e-Gov法令検索『民法』(明治二十九年法律第八十九号)。laws.e-gov.go.jp
- 意思決定能力が「あるかないかという二者択一的ではなく(連続量)、段階的・漸次的に低減・喪失されていることがある」こと、意思決定能力が「認知症の状態だけではなく、本人の心身の状態や本人を取り巻く人的・物的環境によって変化する」こと、「認知症の症状にかかわらず、本人には意思があり、意思決定能力を有するということを前提にして、意思決定支援をする」こと、本人が集中できる時間帯を選び疲れている時を避けるなどの配慮が要ること:厚生労働省『認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン(第2版)』(令和7年3月=2025年3月公表)。mhlw.go.jp(PDF)
- 成年後見登記制度が民法の後見・保佐・補助などについて公示する制度であること:法務省『成年後見登記制度』(2026年9月5日閲覧)。moj.go.jp
- 令和7年1月から12月までの成年後見関係事件の申立件数が合計43,159件であること、開始原因として認知症が最も多く約61.3%を占めること、主な申立ての動機が預貯金等の管理・解約39,871件(93.4%)・身上保護(74.2%)・介護保険契約(45.7%)・不動産の処分15,502件(36.3%)の順であること、終局事件42,674件のうち2か月以内に終局したものが約71.1%・4か月以内が約93.8%であること、鑑定を実施したものが全体の約3.4%で鑑定費用は5万円以下が約43.7%・10万円以下が全体の約85.8%であること、申立人は本人約24.8%・市区町村長約23.7%(10,139件)・本人の子約18.5%の順であること、令和7年12月末日時点の利用者数が259,901人であること:最高裁判所事務総局家庭局『成年後見関係事件の概況——令和7年1月~12月——』(令和8年3月公表)。courts.go.jp(PDF)
- 令和7年10月1日に改正住宅セーフティネット法が施行されたこと、居住サポート住宅の認定制度が「日常の安否確認」「訪問等による見守り」「生活・心身の状況が不安定化したときの福祉サービスへのつなぎ」を行う住宅を対象とすること、住宅確保要配慮者に高齢者が含まれること:国土交通省『住宅セーフティネット制度』。mlit.go.jp
- 地域包括支援センターを市町村が設置していること、地域の高齢者の総合相談、権利擁護や地域の支援体制づくり、介護予防の必要な援助などを行い、地域包括ケア実現に向けた中核的な機関であること:厚生労働省『地域包括ケアシステム(地域包括支援センターについて)』。mhlw.go.jp
出典URLはいずれも2026年9月5日に閲覧し、掲載内容を確認しています。法令の適用や制度の運用は個別の事情・自治体によって異なる場合がありますので、最終的なご判断の前に専門家や市区町村の窓口でご確認ください。
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